2010年07月15日
ヘルシークッキング教室 開催のご案内
参加者募集
日時 2010年7月18日(日) AM10:30~PM1:30
場所 コープ愛知 調理室 (地下鉄 本山駅下車 4番出口より南へ徒歩2分)
参加費 2000円(材料費・参加費含む)
献立
玄米・精神安定効果の高い甘野菜のアワ入りソープ・ベジミートのから揚げ・
梅ドレッシングのヘルシーサラダ・切干大根と昆布のサッと煮・冷やしてツルン豆乳餅
終了後は、懇親会を予定しています。お気軽に ご参加ください。
主催 グリーフケア 命の光 (名古屋市千種区社会福祉協議会ボランティア登録団体)
申し込み inochinohikari_nagoya@yahoo.co.jp へ。
日時 2010年7月18日(日) AM10:30~PM1:30
場所 コープ愛知 調理室 (地下鉄 本山駅下車 4番出口より南へ徒歩2分)
参加費 2000円(材料費・参加費含む)
献立
玄米・精神安定効果の高い甘野菜のアワ入りソープ・ベジミートのから揚げ・
梅ドレッシングのヘルシーサラダ・切干大根と昆布のサッと煮・冷やしてツルン豆乳餅
終了後は、懇親会を予定しています。お気軽に ご参加ください。
主催 グリーフケア 命の光 (名古屋市千種区社会福祉協議会ボランティア登録団体)
申し込み inochinohikari_nagoya@yahoo.co.jp へ。
2010年07月09日
納棺の儀・通夜式
2009年7月4日
気だるい朝を迎えた。
映画「おくりびと」で話題になった納棺師による納棺の儀が、朝から執り行なわれる。
納棺師に支払う金額は7万円。
ちょっと迷う金額ではあったけれど、最高の旅立ちにしてあげたかったので清水の舞台から飛び降りる覚悟で依頼した。
立会人は、私達家族・私の兄夫婦、そして妹家族。
先ずは湯灌。
夫の足元から胸に近親者から順に柄杓(ひしゃく)で湯をかける。
その後は、洗顔に洗髪。顔の髭を剃るのは納棺師さん。
驚くほど速いスピードで剃っていく。
「もっと優しくしてよね、夫の肌は敏感肌なんだよ・・・」と思ったけれど、もちろん言える訳もなく、
ひたすら黙視していた。
そして、ここからは、私達は退室。
白い旅立ちの衣装を身にまとった夫は清く凛々しかった。
夫がこんなにハンサムだったなんて、ずっと知らずにいた。
苦しい闘病をしたとは思えないほど堂々とした立派な姿だった。
私と子どもは、六文銭のシールを胸に貼った。
「これで、三途の川が渡れるね。」
潔く旅立つ夫に涙は似合わないと思い、私は歯を喰いしばって泣くのを我慢した。
お棺の中には、夫が書いていた般若心経、夫の実家の前に流れる福士川の写真を夫の顔の両脇に。
そして、子ども達が選んだ山梨の武将、武田信玄の本を入れた。
夫の好きだった釣竿は、子ども達に形見として残した。
今、その形見の釣竿は、兄貴としての思いやりからか、一番高級な釣竿は三男が持っている。
19時より通夜式
気だるい朝を迎えた。
映画「おくりびと」で話題になった納棺師による納棺の儀が、朝から執り行なわれる。
納棺師に支払う金額は7万円。
ちょっと迷う金額ではあったけれど、最高の旅立ちにしてあげたかったので清水の舞台から飛び降りる覚悟で依頼した。
立会人は、私達家族・私の兄夫婦、そして妹家族。
先ずは湯灌。
夫の足元から胸に近親者から順に柄杓(ひしゃく)で湯をかける。
その後は、洗顔に洗髪。顔の髭を剃るのは納棺師さん。
驚くほど速いスピードで剃っていく。
「もっと優しくしてよね、夫の肌は敏感肌なんだよ・・・」と思ったけれど、もちろん言える訳もなく、
ひたすら黙視していた。
そして、ここからは、私達は退室。
白い旅立ちの衣装を身にまとった夫は清く凛々しかった。
夫がこんなにハンサムだったなんて、ずっと知らずにいた。
苦しい闘病をしたとは思えないほど堂々とした立派な姿だった。
私と子どもは、六文銭のシールを胸に貼った。
「これで、三途の川が渡れるね。」
潔く旅立つ夫に涙は似合わないと思い、私は歯を喰いしばって泣くのを我慢した。
お棺の中には、夫が書いていた般若心経、夫の実家の前に流れる福士川の写真を夫の顔の両脇に。
そして、子ども達が選んだ山梨の武将、武田信玄の本を入れた。
夫の好きだった釣竿は、子ども達に形見として残した。
今、その形見の釣竿は、兄貴としての思いやりからか、一番高級な釣竿は三男が持っている。
19時より通夜式
2010年07月06日
パパ、右手前方に鈴鹿山脈だよ・・・
主治医に見送られて・・・
臨終を告げられて約2時間後。
私は、見事に安らかな顔になった夫と対面した。
にこやかな顔の夫は、どこか不二家のポコちゃんに似ていた。
私達家族は、病室から地下にある霊安室に移動。
霊安室では夫が幼い頃、子ども達に教えた般若心経をお唱え。
私は、宗派が違う家で育ったので、お唱え出来ず聞いていただけ。
そして、午後10時少し前に、主治医と担当看護士さんに見送られ、夫と私・長男が同じ車で。
二男・三男は妹家族の車で病院を後にした。
何度も通った病院からの帰り道。
車は、自由が丘を抜け、四ツ谷から高速に。
サラリーマンの乗ったバスに抜かされて大泣きしながらぶっ飛ばした名古屋高速。
名古屋西からは東名阪、右手に鈴鹿山脈。
私は、「パパ、右手に鈴鹿山脈だよ。もうすぐ着くよ。」と声をかけた。
我が家は、静かな住宅地の中にあるので、そのまま会館へ。
午後11時過ぎに到着。
夜中2時まで会館の方と、そして4時過ぎまで家族で、いろいろな準備のことで話し合い。
その後、ウツラウツラと眠っては夫の呼び声が聞こえたような気がして夫を見に行く。
その度に妹が「お姉ちゃん。」と言って泣きながらついてくる。
あ~あ、私が泣きたいのに・・・
気の優しい兄と、甘えん坊の妹に挟まれた中間子の私は、いつもしっかり者を演じてきた。
「大丈夫」と言ってほしい私が、妹に「大丈夫、大丈夫。」と言っている。
なんやかんやで、向かえた朝。
私には、することが山ほどあった。
臨終を告げられて約2時間後。
私は、見事に安らかな顔になった夫と対面した。
にこやかな顔の夫は、どこか不二家のポコちゃんに似ていた。
私達家族は、病室から地下にある霊安室に移動。
霊安室では夫が幼い頃、子ども達に教えた般若心経をお唱え。
私は、宗派が違う家で育ったので、お唱え出来ず聞いていただけ。
そして、午後10時少し前に、主治医と担当看護士さんに見送られ、夫と私・長男が同じ車で。
二男・三男は妹家族の車で病院を後にした。
何度も通った病院からの帰り道。
車は、自由が丘を抜け、四ツ谷から高速に。
サラリーマンの乗ったバスに抜かされて大泣きしながらぶっ飛ばした名古屋高速。
名古屋西からは東名阪、右手に鈴鹿山脈。
私は、「パパ、右手に鈴鹿山脈だよ。もうすぐ着くよ。」と声をかけた。
我が家は、静かな住宅地の中にあるので、そのまま会館へ。
午後11時過ぎに到着。
夜中2時まで会館の方と、そして4時過ぎまで家族で、いろいろな準備のことで話し合い。
その後、ウツラウツラと眠っては夫の呼び声が聞こえたような気がして夫を見に行く。
その度に妹が「お姉ちゃん。」と言って泣きながらついてくる。
あ~あ、私が泣きたいのに・・・
気の優しい兄と、甘えん坊の妹に挟まれた中間子の私は、いつもしっかり者を演じてきた。
「大丈夫」と言ってほしい私が、妹に「大丈夫、大丈夫。」と言っている。
なんやかんやで、向かえた朝。
私には、することが山ほどあった。
2010年07月03日
20年間、ありがとう。

2009年7月3日(金)
夫の弟夫婦、私の両親、兄夫婦、妹夫婦、会社の上司の方と一緒に、夫のその時を、ただ見守った。
午後3時ごろ、夫の上司のY部長の「現場に戻れ、ゲ・ン・バ」の声に、夫は、ハッとしたように頭を上げようとした。
けれど、それを最後に一切の呼びかけに反応をしなくなった。
朝からずっと7ℓの値の酸素吸入。
夕方には、脈がとれなくなり、血圧は60に・・・
19時半になって、家族が半分ずつ分かれて、15分ずつ休憩することになり、私は後の19時45分からのグループになり、休憩していた。
その時、義姉が走りながら、「早く。」と叫んだ。
私はバタバタと病室に走りこむ。
夫の息は止まっていた。
間に合わなかった、こんない近くにいたのに・・・
私は、夫の頬を「お疲れさま。パパ、私を20年間ありがとう。」と泣きながらさすった。
家族も、すすり泣いている。
その後、奇跡的に息が戻り、夫は2回呼吸をした。
すぐ後に主治医が部屋に入った。
先生は、慎重に心音と瞳孔を確認。
「20時07分 ご臨終です。」と告げた。
苦しかった夫の闘病、そして私の看病が終わった。
2010年07月02日
多分、もう明日なんだ・・・
2009年7月2日(木)
昼過ぎに、尿が完全にストップ。
人は、尿が出なくなったら平均で24時間、長くても48時間を超えて生きることは出来ない。
私は、明日の午後にはお別れなんだ。と確信した。
夫の家族、私の家族、そして夫の大好きだった会社の関係の方に連絡。
夕方、Y部長がお見舞いに来てくださり「頑張れ、頑張れ。」と声をかけてくださり、声をかけながらY部長もハンカチで目頭を押さえていらっしゃった。
夜、私達家族は、家族室で仮眠をとった。
家族室にはベットとソファーが各1。
かけ布団を直接 床に敷いて、ベッドに私と三男、ソファーに長男、床に一番体力の強い二男。
夜中に何度も夫の部屋に行った。
夫は下顎呼吸になっているが、血圧は安定。
もしかして、ひょっとして奇跡ってこともあるかもしれない。
と、どこまでも前向きに考えるようにしていた。
昼過ぎに、尿が完全にストップ。
人は、尿が出なくなったら平均で24時間、長くても48時間を超えて生きることは出来ない。
私は、明日の午後にはお別れなんだ。と確信した。
夫の家族、私の家族、そして夫の大好きだった会社の関係の方に連絡。
夕方、Y部長がお見舞いに来てくださり「頑張れ、頑張れ。」と声をかけてくださり、声をかけながらY部長もハンカチで目頭を押さえていらっしゃった。
夜、私達家族は、家族室で仮眠をとった。
家族室にはベットとソファーが各1。
かけ布団を直接 床に敷いて、ベッドに私と三男、ソファーに長男、床に一番体力の強い二男。
夜中に何度も夫の部屋に行った。
夫は下顎呼吸になっているが、血圧は安定。
もしかして、ひょっとして奇跡ってこともあるかもしれない。
と、どこまでも前向きに考えるようにしていた。
2010年07月01日
送る準備
2009年7月1日(水)
夫は、弱っていく。
マットレスからベッドに移動。
動けない体になってしまったからだ。
私は、驚くほど冷静に、夫を送る準備を始めた。
朝から夫を、実家の両親に任せ、私は自宅に帰った。
そして中学校からの友人のMちゃんに迎えに来てもらって、四日市駅の一番近いセレモニー会場の会員登録をした。
子ども達とは1時に四日市駅に集合。
四日市近鉄百貨店に行き、子ども達の式服を購入。
明日中に実家に届けてもらうように頼み、私と三男は、そのまま病院へ。
長男と二男は、後から病院へ向かう。
今日から家族全員で付き添うことにした。
夫は、弱っていく。
マットレスからベッドに移動。
動けない体になってしまったからだ。
私は、驚くほど冷静に、夫を送る準備を始めた。
朝から夫を、実家の両親に任せ、私は自宅に帰った。
そして中学校からの友人のMちゃんに迎えに来てもらって、四日市駅の一番近いセレモニー会場の会員登録をした。
子ども達とは1時に四日市駅に集合。
四日市近鉄百貨店に行き、子ども達の式服を購入。
明日中に実家に届けてもらうように頼み、私と三男は、そのまま病院へ。
長男と二男は、後から病院へ向かう。
今日から家族全員で付き添うことにした。
2010年07月01日
親・兄弟との別れ
2009年6月30日(火)
ずっと待っていた 夫の両親・兄・弟が山梨と静岡から来てくれた。
家族で写した写真と違って、あまり顔が分からないように思うので、写真もブログに残すことにした。
手前が弟、中腰になっているのが兄。その奥に学校を休んで付き添うことにした三男。
呼びかけには、まだ少し握り返せた。
週末だったら、まだ話が出来たのに・・・残念でたまらなかった。
5月の連休に、山梨に帰りたいと言っていたのに、「無理をするな。」と夫の父親に言われて行けなかったことも残念だった。
もう一度、もう一度 夫の大好きな富士山を見せてあげたかった。
兄弟と話をさせてあげたかった。
ごめんね、パパ。私は何もしてあげれなかったね、本当にごめん、パパ。
2010年07月01日
車椅子でのお散歩は、この日が最後となった
2009年6月29日(月)
時間に余裕はない。
緊急の場合、どうするかを私は子ども達に伝えた。
学校へ行っている日中の場合
1.私が長男に連絡
2.長男が最寄り駅の霞ヶ浦駅に何時に到着するかを私と二男に連絡
3.二男は時間に間に合うように駅に向かう
4.三男の学校へは私から連絡をして、先生に駅まで送ってもらう(ランドセルは学校に置いたまま)
5.三人が揃ったら、一番早く着く方法で病院に向かう
夜の場合
私と長男・私と二男の交代で付き添うため、家に残っている2人は21時までは病院へ向かう
それ以降は自宅待機
近くにいる私の両親は高齢のため、出来るだけ自分達で頑張ろうと結束。
そして、長男と二男のそれぞれに、交通費1万円を渡した。
この日は、私や子ども達の宿泊荷物が多くて移動が大変だったので、親友のAちゃんに病院まで送ってもらった。
夫は、横になっているのを嫌がり、夕方までのほとんどの時間を、グルグル車椅子で院内のお散歩をして過ごした。
そして夕方、Aちゃんが帰った後だった。
夫は、突然暴れだした。
すぐに飛んできた先生は、「楽になるお薬を使っていいですか?」と私に尋ねた。
私は決死の覚悟で「はい、主人を楽にしてあげてください、覚悟は決めています。」と返事をした。
先生の注射で10秒しないうちに夫の体は、床に2枚マットレスを合わせた上にクタクタとなって横たわった。(ベッドは動くので危険ということで)
私は「3時間くらいで目が覚めますからね。」と言った先生の言葉は耳に入らず、このまま終わってしまったらどうしようか、とひどく焦り、怖くなった。
2時間が過ぎたあたりから、夫は「アー・ウー」と言って起き上がろうとするようになった。
起き上がろうとしては、バタンと転がってしまうので、とにかく危険で、動けばすぐにナースコールが鳴るように夫の腰にナースコールのボタンがつけられた。
夫が起き上がってはピンポーン。そして看護士さん2~3人がバタバタと走って駆けつける。
この日は、夜中中そんな感じだった。
先生から「ご家族まだですか?まだなら私から連絡します。」とちょっと怒り口調で言われたので、
私は、再度 夫の両親と兄に連絡をして事情説明。
やっと納得してもらい、夫の家族は翌日見舞いに来ることになった。
時間に余裕はない。
緊急の場合、どうするかを私は子ども達に伝えた。
学校へ行っている日中の場合
1.私が長男に連絡
2.長男が最寄り駅の霞ヶ浦駅に何時に到着するかを私と二男に連絡
3.二男は時間に間に合うように駅に向かう
4.三男の学校へは私から連絡をして、先生に駅まで送ってもらう(ランドセルは学校に置いたまま)
5.三人が揃ったら、一番早く着く方法で病院に向かう
夜の場合
私と長男・私と二男の交代で付き添うため、家に残っている2人は21時までは病院へ向かう
それ以降は自宅待機
近くにいる私の両親は高齢のため、出来るだけ自分達で頑張ろうと結束。
そして、長男と二男のそれぞれに、交通費1万円を渡した。
この日は、私や子ども達の宿泊荷物が多くて移動が大変だったので、親友のAちゃんに病院まで送ってもらった。
夫は、横になっているのを嫌がり、夕方までのほとんどの時間を、グルグル車椅子で院内のお散歩をして過ごした。
そして夕方、Aちゃんが帰った後だった。
夫は、突然暴れだした。
すぐに飛んできた先生は、「楽になるお薬を使っていいですか?」と私に尋ねた。
私は決死の覚悟で「はい、主人を楽にしてあげてください、覚悟は決めています。」と返事をした。
先生の注射で10秒しないうちに夫の体は、床に2枚マットレスを合わせた上にクタクタとなって横たわった。(ベッドは動くので危険ということで)
私は「3時間くらいで目が覚めますからね。」と言った先生の言葉は耳に入らず、このまま終わってしまったらどうしようか、とひどく焦り、怖くなった。
2時間が過ぎたあたりから、夫は「アー・ウー」と言って起き上がろうとするようになった。
起き上がろうとしては、バタンと転がってしまうので、とにかく危険で、動けばすぐにナースコールが鳴るように夫の腰にナースコールのボタンがつけられた。
夫が起き上がってはピンポーン。そして看護士さん2~3人がバタバタと走って駆けつける。
この日は、夜中中そんな感じだった。
先生から「ご家族まだですか?まだなら私から連絡します。」とちょっと怒り口調で言われたので、
私は、再度 夫の両親と兄に連絡をして事情説明。
やっと納得してもらい、夫の家族は翌日見舞いに来ることになった。
2010年06月29日
最後の家族写真撮影
2009年6月28日(日)
夫は、ついに朝から尿がストップしてしまった。
ベッドから車椅子に移動するにも大変で、夫が起き上がる度に、ナースコール。
なんせ、夫は体が大きいので、男性の看護士さんには大いに助けられた。
家族で揃う日曜日は、おそらく最後。
車椅子に座った夫の隣には三男。夫の後ろに私。私の左に長男、そして右には二男。
夫は、口を開いたまま眠っている。
私には、この写真を公開する勇気はない。
夫は、もう仏様のような顔になっている。
これ以上、尿が出ないのは危険。とのドクターの判断で夕方より導尿。
夫は、それが嫌なようで、何度も引っ張って抜こうとしていた。
私は何もしてあげることが出来なかった。
夫は、ついに朝から尿がストップしてしまった。
ベッドから車椅子に移動するにも大変で、夫が起き上がる度に、ナースコール。
なんせ、夫は体が大きいので、男性の看護士さんには大いに助けられた。
家族で揃う日曜日は、おそらく最後。
車椅子に座った夫の隣には三男。夫の後ろに私。私の左に長男、そして右には二男。
夫は、口を開いたまま眠っている。
私には、この写真を公開する勇気はない。
夫は、もう仏様のような顔になっている。
これ以上、尿が出ないのは危険。とのドクターの判断で夕方より導尿。
夫は、それが嫌なようで、何度も引っ張って抜こうとしていた。
私は何もしてあげることが出来なかった。
2010年06月28日
妹一家が来てくれた
2009年6月27日(土)
「家族に連絡するように。」とドクターから言われた。
いよいよなんだ・・・
私は皆に「もう、時間がなさそう。来週末までは・・・、無理みたい。」と連絡を入れた。
この知らせに飛んで来てくれたのは、私の妹一家だけ。
夫の両親や兄・弟は「木曜日に入院したばっかりで、何言ってるんだ。」と言って聞き入れてくれない。
どんなにギリギリまで私が頑張ったかなんて、説明しても納得できない様子。
妹は、言語聴覚士なので、お口のケア、そして少しずつ氷水を飲ましてくれた。
このときに写真は、今も携帯に残っている。
妹は、さすがにプロだと感心した。
私が飲まそうとしても咽るけど、妹だと少し、ほんの少しだけれどゴクンと飲むことが出来る。
午後は、夫の大好きな会社のY工事部長・Y所長、そして総務の方がお見舞いに。
この日は、まだどうにか車イスに座ることが出来た。
「家族に連絡するように。」とドクターから言われた。
いよいよなんだ・・・
私は皆に「もう、時間がなさそう。来週末までは・・・、無理みたい。」と連絡を入れた。
この知らせに飛んで来てくれたのは、私の妹一家だけ。
夫の両親や兄・弟は「木曜日に入院したばっかりで、何言ってるんだ。」と言って聞き入れてくれない。
どんなにギリギリまで私が頑張ったかなんて、説明しても納得できない様子。
妹は、言語聴覚士なので、お口のケア、そして少しずつ氷水を飲ましてくれた。
このときに写真は、今も携帯に残っている。
妹は、さすがにプロだと感心した。
私が飲まそうとしても咽るけど、妹だと少し、ほんの少しだけれどゴクンと飲むことが出来る。
午後は、夫の大好きな会社のY工事部長・Y所長、そして総務の方がお見舞いに。
この日は、まだどうにか車イスに座ることが出来た。
2010年06月26日
最後の入院
2009年6月25日(木)
外来の予約は午前9時。
私は、おそらく入院になると思っていたので入院の用意をリビングに夜のうちに用意しておいた。
朝5時に起きた私は、いるはずの夫が隣にいないのでビックリした。
睡眠不足になっていた私は、夫が起きたのを知らなかったようだ。
慌ててリビングに行って目にした光景は、今も忘れることが出来ない。
部屋中のコンセントを抜いて、その一部のコンセントは、自分の首に巻いたようで、夫の首にコンセントがグルグル巻いてあった。
テレビは、半分落ちかけていて、コンピューターは用意した入院のバックに突っ込んだ状態になっていた。
私は体中の血の気が引くのを感じて、頭がクラクラした。
夫は「会社にいって仕事をするんだ。」と繰り返し何度も言っていた。
私は、決してこの光景を子ども達には見せたくなくて、声を潜めながら一人で夫を抱きしめ、「会社へ行こうね。今から一緒に行こうね。準備するね。」と言ってソファーに横にして、静かに夫の首に巻かれたコンセントをはずし、部屋を片付けた。
あまりのショックに、何度も吐き気を抑えることが出来なかったけれど、病院へ行く時間は迫る。
おそらく夫は生きた姿でこの家に戻りはしないだろう。と思うと、いっそ病院へも行かず、このままにしようか・・・とも考えた。
玄関を出る時、どんな姿になろうとも、しっかりと私がパパを胸に抱いて帰るからね。
何も心配要らないよ。と声にならない声を夫にかけながら、靴を履くのを手伝った。
15段ある階段を、二男と二人で夫を支えて下り、やっとの思いで車に乗り、何度も何度も後部座席に座っている夫の顔をバックミラーで確認しながら病院へ向かった。
もちろん、緊急入院。
白血球は15000を超え、腎機能・肝機能、全てが低下していたことは言うまでもない。
外来の予約は午前9時。
私は、おそらく入院になると思っていたので入院の用意をリビングに夜のうちに用意しておいた。
朝5時に起きた私は、いるはずの夫が隣にいないのでビックリした。
睡眠不足になっていた私は、夫が起きたのを知らなかったようだ。
慌ててリビングに行って目にした光景は、今も忘れることが出来ない。
部屋中のコンセントを抜いて、その一部のコンセントは、自分の首に巻いたようで、夫の首にコンセントがグルグル巻いてあった。
テレビは、半分落ちかけていて、コンピューターは用意した入院のバックに突っ込んだ状態になっていた。
私は体中の血の気が引くのを感じて、頭がクラクラした。
夫は「会社にいって仕事をするんだ。」と繰り返し何度も言っていた。
私は、決してこの光景を子ども達には見せたくなくて、声を潜めながら一人で夫を抱きしめ、「会社へ行こうね。今から一緒に行こうね。準備するね。」と言ってソファーに横にして、静かに夫の首に巻かれたコンセントをはずし、部屋を片付けた。
あまりのショックに、何度も吐き気を抑えることが出来なかったけれど、病院へ行く時間は迫る。
おそらく夫は生きた姿でこの家に戻りはしないだろう。と思うと、いっそ病院へも行かず、このままにしようか・・・とも考えた。
玄関を出る時、どんな姿になろうとも、しっかりと私がパパを胸に抱いて帰るからね。
何も心配要らないよ。と声にならない声を夫にかけながら、靴を履くのを手伝った。
15段ある階段を、二男と二人で夫を支えて下り、やっとの思いで車に乗り、何度も何度も後部座席に座っている夫の顔をバックミラーで確認しながら病院へ向かった。
もちろん、緊急入院。
白血球は15000を超え、腎機能・肝機能、全てが低下していたことは言うまでもない。
2010年06月25日
家で過ごした最後の日
2009年6月24日(水)
夫は、一日のほとんどを眠って過ごすようになっていた。
明日は外来日。おそらく、そのまま入院になるだろうと予想。
何となく、家で過ごす最後の1日となるような気がした。
午後の入浴では、フラフラになっている夫の頭を湯船に浸かったまま丁寧に洗った。
赤ちゃんの頭をシャンプーするように、左手で頭を支えながら右手てあわ立ててシャワーで濯ぐ。
夫は熱い湯が好きだったけれど、身体の負担を考えると40度くらいが適温だろう、と考え、ぬるめの温度に設定。
抱きかかえた夫の顔には、ポタポタ私の涙が落ちる。
「ああ、もう本当に夫の人生は終わりに近づいている。」
絶望感が押し寄せて、私を苦しめる。
湯船から上げる時の夫の身体の重さは尋常ではなかった。
夫の脇の下に私の首を入れて持ち上げるのだけれど、ツルリとすべって湯船にピシャンとまた夫の身体が落ちてしまう。
何度も失敗して、ようやく上がれたころには、力を入れすぎたせいか私の足が震えていた。
次に、リビングのソファーまで夫を運び、バスタオルをかけて夫を横にして、急いで自分の着替えをした。
夫の身なりを整えようとした時には、すでに夫は眠っていたので、疲れ果てた私は、しばらく夫をそのままにしてヘナヘナと隣に座り込んで、しばらくボーっとしていた。
どれほど経ったのかは記憶にないけれど、我に返った私は、夫に水分補給しなくてはいけないことに気がつき、夫の身なりを整えて、小さくした氷を口に運んだ。
寒い季節でなかったのが幸いだった。
夫は、一日のほとんどを眠って過ごすようになっていた。
明日は外来日。おそらく、そのまま入院になるだろうと予想。
何となく、家で過ごす最後の1日となるような気がした。
午後の入浴では、フラフラになっている夫の頭を湯船に浸かったまま丁寧に洗った。
赤ちゃんの頭をシャンプーするように、左手で頭を支えながら右手てあわ立ててシャワーで濯ぐ。
夫は熱い湯が好きだったけれど、身体の負担を考えると40度くらいが適温だろう、と考え、ぬるめの温度に設定。
抱きかかえた夫の顔には、ポタポタ私の涙が落ちる。
「ああ、もう本当に夫の人生は終わりに近づいている。」
絶望感が押し寄せて、私を苦しめる。
湯船から上げる時の夫の身体の重さは尋常ではなかった。
夫の脇の下に私の首を入れて持ち上げるのだけれど、ツルリとすべって湯船にピシャンとまた夫の身体が落ちてしまう。
何度も失敗して、ようやく上がれたころには、力を入れすぎたせいか私の足が震えていた。
次に、リビングのソファーまで夫を運び、バスタオルをかけて夫を横にして、急いで自分の着替えをした。
夫の身なりを整えようとした時には、すでに夫は眠っていたので、疲れ果てた私は、しばらく夫をそのままにしてヘナヘナと隣に座り込んで、しばらくボーっとしていた。
どれほど経ったのかは記憶にないけれど、我に返った私は、夫に水分補給しなくてはいけないことに気がつき、夫の身なりを整えて、小さくした氷を口に運んだ。
寒い季節でなかったのが幸いだった。
2010年06月23日
闘病記、完結編
2009年6月23日(火)
私の日記より
昨夜は、ほぼ眠れた。
しかし痛みがあって、レスキュー薬のオキノームを2回飲む。
AM8:30 PM8:30
体重増加が気になる。73.4Kg
お腹が張っているのは、多分腹水。
お腹の血管は浮いていて、足に浮腫みあり。
皮下出欠が出ている。
息が浅くなってきた。
このように記録されているが、別れの近さを感じて生活を送った。
弱っていく夫が愛しかった。
まだ話せる夫は「時間が早い、時間が早い。」
と言っていたのを思い出す。
私は、家で看病を続ける自身をかなり失っていた。
私の日記より
昨夜は、ほぼ眠れた。
しかし痛みがあって、レスキュー薬のオキノームを2回飲む。
AM8:30 PM8:30
体重増加が気になる。73.4Kg
お腹が張っているのは、多分腹水。
お腹の血管は浮いていて、足に浮腫みあり。
皮下出欠が出ている。
息が浅くなってきた。
このように記録されているが、別れの近さを感じて生活を送った。
弱っていく夫が愛しかった。
まだ話せる夫は「時間が早い、時間が早い。」
と言っていたのを思い出す。
私は、家で看病を続ける自身をかなり失っていた。
2010年06月14日
今年のコンサートに夫の姿はない

2010年6月12日(土)
昨年は夫も一緒に出かけたコンサート。
同じ会場、この中に夫はいるはずもないのに姿を探してしまった。
いく筋もの涙がポタポタと首筋まで伝う。
夫も好きだった、ラフマニノフのピアノコンチェルト2番の演奏中、体中が張り裂けそうになった。
昨年の今頃、弱ってはいたけれど、まだ夫は生きていた。
辛いながらも、充実していた毎日。
どんな声だったかな。
どんな背中だったかな。
私の記憶の中から、どんどん夫は遠くなっていくのに、一方で私の苦しみや悲しみは深まっていくばかり。
どこかに逃げ出したいと思う気持ちは、昨年も今も同じ。
来年になったら、少しは治まっているのだろうか

2010年06月04日
二男の作ったベーコンエピ

2010年6月4日(金)
今日のランチは二男が作ってくれたベーコンエピとサラダ。
エピはフランス語で、稲という意味なんだそうです。
なるほど・・・稲の穂の形に似てる・・・かな?
実はこれ、フランスパンの生地なので、とっても固いんです。
歯が折れそうな勢いでした

我が家は、男の子ばっかりですが、みんなお料理が好きなので助かります。
2010年06月03日
我が家のビワ

2010年6月3日(木)
1ヶ月前には青かったビワが食べごろになりました。
今日は夫の月命日だったので、先ずは仏壇にお供えしました。
昨年の今頃、夫は毎朝このビワを嬉しそうに食べていました。
来月の3日は、1周忌。
私は、どんな気持ちでこの日を迎えることになるのでしょうか・・・
2010年06月02日
今日のランチは、オレガノとトマトのパスタ

2010年6月2日(水)
今日は、朝から友人と家庭教師の名子先生のお宅でお勉強会。
学習内容は医学概論

マクロファージ???甲状腺のフィードバックシステム???
何それ~???
結局、夕方5時近くまで教えていただいたものの・・・
途中で眠くなっちゃたりして19日がテストというのに、全く間に合いそうにない感じです。
次回は16日のお約束なのですが、とっても気分が重いです。
写真は、歯科女医の名子先生オリジナルパスタ。
名子先生は歯の治療はもちろん、お料理もとってもお上手。
本当は、医学概論よりお料理を教えて頂きたいと思ってます
2010年05月30日
タカノフルーツパーラーのフルーツポンチ

2010年5月30日(日)
今日は、気の合う仲間達と名駅で集合。
ランチをモクモクでモグモグ(←さぶっ
)と いただき、食後のデザートはタカノフルーツパーラーへ移動。この写真は、その時に注文したフルーツポンチ。
思わずガブッとかじってしまい、スイカの頭の部分が欠けちゃいました

それにしても、美味しかった~。
ビタミン補給もバッチリのはず!!
目指せツルツル美肌
2010年05月28日
今夜は手巻き寿司

2010年5月28日(金)
金曜日の夜は、どこか気分がウキウキ

明日の朝は、ゆっくり起きれるし・・・
それに、なんと言っても家族が病気や怪我もなく無事金曜の夜を迎え
ることが出来たことが何よりも嬉しい。
この後は、子どもたちとセッションする予定。
私のキーボードに長男のベース、二男のギター。そして三男は
パーカッション。
運動神経バツグンの三男は、とってもドラムが上手。
今はまだ、おもちゃみたいな電子ドラムだけれど、そろそろ本格的なドラムを購入しようかと思っています。
夫がいた頃は、夫も時々ドラムで参加していたけれど・・・
なぜかいつも、民謡みたいなリズムなって皆の調子を狂わせるのが十八番でした。
さて、今夜の曲は何にしようかな
2010年05月27日
美味しい~

2010年5月27日(木)
お友達にいただいた「半熟ちぃず」
ぐぐぐっ・・・美味しい~

とろけるような柔らかさ。
フワ~っとした食感がたまりません。
四日市、エトワールさんの洋菓子です。
今日は、涼しいせいか、またもや食欲増進しています。
レッドゾーンだなあ、完全に



